外山滋比古著「乱読のセレンディピティ」を読みました。

某所に有志の本棚ができたとかで、面白そうだなあと行ってみました。1年以内に発刊されたビジネス本に限るというもので、読み終わったもの、買ったけど読まなかったものが並ぶ本棚です。某所のひとたちはどんなビジネス本を読んでるのかなっていうところに興味津々。どれもおもしろそうだったけど、たまたま知った本棚に勢いだけで来た身としては、選んじゃうよねセレンディピティ。
読書論に見せて、「教養」とは何かを問う一冊と感じました。教養に「」を付けたのは、本文中の教養とは意味がちょっと違うから。アルファー読み(すでに知っていることについて読むこと)、ベータ読み(まったく知らないことについて読むこと)というふたつの読み方に触れながら、乱読にはベータ読みが必須なんだとおっしゃる。この場合の知っていることというのは内容はもちろんだけれど、その価値を含むと思った。この作家さんは有名だとか、この本は読むべき一冊だとかね。
まったく価値も内容もわからないけれど読む、するとそこにセレンディピティが起きるんだって。冒険には失敗がつきものなわけで、そこに新しさやセレンディピティへの道があるとのこと。たくさんのジャンルにたくさんチャレンジする、しかも速く。これがオススメなんだって。
本を読むということは死者と話すことって何かに書いてあったなあ。今いる人間の数よりも、すでに死んだ人間の数のほうが遥かに多い。今生きて悩んでいるこの瞬間に、今生きている身近で優れた師に出会うことはかなり難しい。しかし死者を含めれば、わたしたちは一瞬で紀元前までさかのぼることができ、一瞬でいくつもの国境を越えて師を探すことができるというようなことが書いてあった。これを知ったときは、あー、生きててよかったなと思いましたよ。乱読とはつまりそれができるかどうかってことだと感じた。
いっくら乱読じゃー!乱読するぞー!なんって言ってもね、日経MJの今週のベストセラーやら本屋大賞なんてとこ見てもしょーがないんだって。ジャンルもそうだけど時代も横断しなきゃだ。本文中にも「one is too many」というフレーズがでてきますが、これは読書を含め何事も興味をひとつに絞ることのリスク、オポチュニティコストを示しています。何事も分散投資ってことね。でもね、たくさん読んでる、たくさんインプットしてるっていっても、アウトプットのひとつもしなきゃだよね。これができないひとって魅力半減(わたし比)。
いちおう付け加えると読書術ってのは確かにあって、これがベータ読みができるかどうかってことにもつながります。その方法はこの本には書いてないので「ベータ読みってよくわかんないけど乱読するぞー!」なんていう滑稽なことが起きそう。読書術のオススメは「本を読む本」かな。
本を読む本 (講談社学術文庫)/講談社
ごはんも投資も読書もバランス良く!
